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更新日:2016年3月16日

国際交流(1)

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いちき串木野市の国際交流の状況

いちき串木野市の国際交流の大きな柱・・・世界に拓かれたまちづくり

いちき串木野市と交流のある国や都市

〈各項目をクリックすると内容へ移ります〉

いちき串木野市と交流のある国や都市の地図

 

姉妹都市サリナス市との交流

姉妹都市サリナス市について

サリナス市は、米国カリフォルニア州の太平洋岸の中央部に位置し、サンフランシスコから南へ約2時間、モントレー郡の郡都で人口は148,350人(2006年)の市です。
降雨が少なく乾燥していますが、温暖な気候と豊富な地下水を利用して、カーネーションやバラ、菊などの花卉栽培やレタスなどの野菜栽培などの農業を基幹産業として栄えてきており、花卉の出荷量は全米の3分の1を占めています。
最近では、40分ほど離れたところにあるIT産業のシリコンバレー(サンノゼ市)のベッドタウンとして目覚ましい発展をしています。
また、「怒りの葡萄」「赤い子馬」「エデンの東」などで有名なノーベル文学賞を受賞作家「ジョン・スタインベック」の生地としても有名で、その他カリフォルニア州最大のロデオ場があり、開催日には全米各地から観客が集まってきます。

サリナス市の位置

サリナス市の位置(地図)

広大な平野に広がる野菜畑

広大な平野に広がる野菜畑(写真)

ジョン・スタインベックの生家

ジョン・スタインベックの生家(写真)

姉妹都市盟約の背景と経緯

第2次大戦後間もない昭和30年から昭和31年(1955年~1956年)にかけて、アジア難民救済法によって旧串木野市出身の約70人がサリナス市を中心に移住しました。そして、大変な苦労の末、花卉栽培、果樹経営、ガーデナー(庭園師)、工業技師、商店経営、会社経営などで成功を収めました。
そして、昭和51年(1976年)、「同郷出身の先人達が遠い異国の地で成し遂げた尊い経験を、郷土の青少年、また在米串木野出身者の二世、三世の心の中に生かし続けることが、郷土愛や開拓者魂の醸成に繋がり、本市の発展に寄与するのではないか。」と姉妹都市盟約の機運が高まりました。
昭和54年(1979年)5月27日、旧串木野市とサリナス市との間で姉妹都市盟約が締結されました。その後、交流の促進と体制強化を図るため、「串木野市・サリナス市姉妹都市協会」が発足しました。
平成18年(2006年)8月4日、新市「いちき串木野市」誕生に伴い、サリナス市にて姉妹都市盟約再締結の調印式を行いました。

姉妹都市盟約書

姉妹都市盟約書(写真)

姉妹都市盟約再調印式の様子

調印式の様子(写真)

姉妹都市盟約調印書は下のリンクから内容を見ることができます。

姉妹都市交流

昭和62年(1987年)から姉妹都市協会を通じて、郷土の歴史を学ぶとともに、国際的な感覚を持った青少年の育成を図るために、中・高校生の派遣及び受入事業を隔年毎に実施し、ホームステイしながらそれぞれの歴史や文化を理解するための交流を行っています。

サリナス市への中学・高校生派遣


サリナス市への中学・高校生派遣(写真)

 

サリナス市の中学・高校生受入


 

サリナス市の中学・高校生受入(写真)

いちき串木野市・サリナス市姉妹都市協会「総務大臣賞受賞」

総務省所管の(財)自治体国際化協会の姉妹都市交流表彰において、いちき串木野市・サリナス市姉妹都市協会が「2008年度総務大臣賞」を受賞しました。

地域の特色や歴史的意義を活かした市民レベルでの草の根交流を、30年に渡り行ってきた活動が評価されました。

総務大臣賞受賞表彰式(写真)

【お問合せ先】

いちき串木野市旭町178
いちき串木野市サリナス市姉妹都市協会事務局
TEL:0996-32-2049
FAX:0996-32-9891

英国との交流

薩摩藩英国留学生渡欧の地(写真)

歴史的背景

江戸時代末期の薩摩藩は、生麦事件に端を発した薩英戦争を契機に、西洋から様々な技術や知識を学び、近代的な国づくりを推進しようと、開成所を中心とした薩摩藩士ら19名を密かに英国に留学させるという方針を決定しました。
当時は鎖国中であり、海外渡航は国禁であったため、留学生たちは全員変名を与えられ、また甑島大島周辺の調査と称し、乗船する船が来るまでの2カ月間を羽島の藤崎家・川口家に逗留しました。
1865年4月17日、羽島沖に現れた蒸気船オースタライエン号に乗り込み、二度と薩摩の地は踏めないかもしれないと決死の覚悟で、英国へ旅立ちました。約2ヶ月に及ぶ長旅の末、イギリスのサザンプトン港を経て、ロンドンに到着した彼らは、ロンドン大学(UCL)に在籍し、慣れない地で必死に勉学に励みました。
そして、彼らが習得した語学、医学、化学、文化、陸海軍の近代的な技術と知識は、その後の日本近代化への原動力となりました。
よって、本市の羽島は近代日本の出発点とも言える、記念すべき「黎明の地」といえます。

薩摩藩英国留学生出発の瀬

薩摩藩英国留学生出発の瀬(写真)

薩摩藩英国留学生イラスト

薩摩藩英国留学生イラスト

薩摩藩英国留学生一行の構成


下記PDFをご参照ください。

 

 

交流の経緯

平成5年(1993年)4月当時のUCL(ロンドン大学)のジョン・ホワイト学長代理が本市を訪問し、「薩摩藩留学生渡欧の地」と「薩摩藩留学生渡欧記念碑」を視察しました。

UCLは日英友好協会(外部サイトへリンク)及び日英文化記念クラブと協力し、1993年9月2日、UCLに在籍した薩摩藩や長州藩等の日本人留学生の偉業を称えるためUCLキャンパスの中心部に「UCL日本記念碑」を建立しました。この記念碑は、本市の「薩摩藩留学生渡欧記念碑」がモチーフとなりました。

本市はその年から語学研修を目的として、職員1人をUCLへ1年間の派遣を始めました。本市は、平成10年(1998年)までに6名を派遣した後、平成11年(1999年)からは市民から留学生を募集し、平成14年(2002年)までに4名を派遣しました。

UCL(ロンドン大学)内の「UCL日本記念碑」


UCL(ロンドン大学)内の「UCL日本記念碑」(写真)

 

薩摩藩留学生渡欧記念碑


薩摩藩留学生渡欧記念碑

 

地元の「羽島史跡顕彰会」は、決死の思いで出航し、日本の近代化に貢献した薩摩藩英国留学生の勇気と功績を称え語り継ぐために、平成元年から毎年4月に「黎明祭」を開催しています。地元の小・中学校の生徒たちが薩摩藩英国留学生一行に扮し、自己紹介を兼ねたスピーチを行い、その後漁船パレード等が行われます。

黎明祭(左写真)と漁船パレード(右写真)の様子


 

黎明祭(写真)漁船パレード(写真)

中国との交流

本市は、大きく発展を続けている上海などの中国沿岸部と直線距離で850km(東京より近い距離)の位置にあります。
本市と中国との交流は古く2200年前、秦の始皇帝の命を受けた「徐福」が不老不死の仙薬を探して渡来した徐福伝説まで遡ります。

串木野港と西薩中核工業団地を活用した中国沿岸部との経済交流に向けて、これまで幾度となく訪問団を派遣し、また福建省厦門市(アモイ市)の厦門鷺江大学(現厦門理工大学)に平成2年度から毎年職員を留学させ、平成12年度からは市国際交流協会が同大学に市民を派遣しました。

さらに、平成13年度から2年間上海中医薬大学からスポーツ国際交流員を招き、気功を通じた市民の健康づくりを図り、現在も約100人の市民が気功を通じた草の根の国際交流を続けています。

なお、中国交流の発展を願って、中国庭園「冠嶽園」や「冠岳花川砂防公園」並びに「徐福像」等を、徐福にゆかりがある冠岳地区に設置し、多くの訪問客があります。

日本一の徐福石像(高さ6メートル)


 

 

日本一の徐福石像(写真)

中国風庭園「冠嶽園」


 

 

中国風庭園「冠嶽園」(写真)

気功の講習生が市民体育大会で披露


 

 

気功講習生の演武(写真)

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お問い合わせ

いちき串木野市役所政策課国際交流係

〒896-8601 鹿児島県いちき串木野市昭和通133番地1

電話:0996-33-5628

ファクス:0996-32-3124

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