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更新日:2024年9月30日
激動の幕末、薩摩藩から最年少の13歳で英国留学生に選抜され、後に米国に渡り「ワイン王」呼ばれた男、長沢鼎(ながさわかなえ)。
今回は、鹿児島に生まれ、焼酎づくりを学んだのち渡米し、自力でワイン醸造家の道を切り拓いた石窪俊星氏をナビゲーターに、カリフォルニアに残る長沢の子孫やゆかりの地を訪ね、長沢の人生の続きをドキュメンタリー映像やパネル展示で描き出すとともに、貴重な資料をもとに現代を生きる私たちに「一歩を踏み出す勇気」を与えられる内容となっている。
1983年11月、米国大統領ロナルド・レーガンは、日本の国会で演説を行い、尊敬すべき日本人として松尾芭蕉、福沢諭吉、長沢鼎の三人の名前を挙げた。当時の日本で長沢鼎の名を知る人はほとんどいなかったが、大統領演説で「侍から実業家になった長沢鼎は私たちの生活を豊かにし、日米友好の歴史の中で特筆すべき」と敬意を表したことから広く世に知られるようになった。遠く離れた米国で「グレープキング」、「バロンナガサワ」と呼ばれた長沢鼎とはいったいどんな人物だったのだろうか?
1852年、鹿児島城下で磯長孫四郎の四男・磯長彦輔として誕生。
13歳の時、藩より「長沢鼎」の名を与えられ最年少の薩摩藩英国留学生として渡英。その後、単身スコットランドで学んだのち、宗教家トーマス・レイク・ハリスの誘いで米国へと渡る。他の留学生が帰国する中、一人米国に残りコロニーで葡萄栽培やワインの醸造に取り組みながら40歳の時にカリフォルニア州・サンタローザのワイナリーを引き継ぐ。彼の醸すワインは高い評価を得て、カリフォルニアは世界有数のワイン産地へと成長した。移りゆく時代の波に翻弄されながら試行錯誤を重ね掴んだ栄光と失意の日々。孤高を貫いた日本人初の米国移民はカリフォルニアの地で独身のまま、長沢鼎として82年の生涯を終えている。
名称 |
薩摩藩英国留学生記念館 |
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住所 |
いちき串木野市羽島4930番地 |
電話番号 |
0996-35-1865 |
ファクス番号 |
0996-35-1105 |
ホームページ |
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