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更新日:2017年5月15日

歴史と由来・民俗(2)

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蘇鉄

冠岳小学校の校庭にある蘇鉄は、承久二年(1220)~正応年間(1288~1292)まで西岳中腹にあった霊山寺に生えていたものを移植したものといわれています。
樹木医による葉柄鱗片計測(葉のついていた跡を数え樹齢を推定する方法)では、樹齢約264年と推定されます。(平成12年時点)

十里塚の榎

宝永三年(1706)正月二十日の覚書きによれば、薩摩藩では、鹿児島下札辻(しもふだのつじ=現在の鹿児島市にある東郵便局周辺)を起点として、三筋(出水筋・大口筋・高岡筋)の他の領域まで「一里塚」を設けたとされています。
十里塚は、札辻から十里(一里は約4km)の地点にあたり、榎が今も残っています。
樹木医の診断によると、世代交代樹齢100年と仮定するならば、初代の榎は、1600年代に植えられ、現在の榎は、四代目樹齢130年と推定されます。(平成11年時点)

 

旧入来邸武家屋敷と古木

旧入来邸武家屋敷

 

 旧入来邸武家屋敷は郷士年寄格で本市に所在する武家屋敷を代表するものであり、建築年代は少なくとも幕末期と考えられる。また、庭に植えられている古木(イヌマキ、ゴヨウマツ)も江戸時代のものと考えられる。(平成29年1月24日指定)

 

市来貝塚

市来貝塚全景(空撮)

市来貝塚は大正10年に山崎五十磨、昭和36年には河口貞徳により発掘調査が行われた。36年の発掘調査では人骨が3体出土し、多数の土器、石器、骨角器が出土した。また、平成2年度・4年度に学術調査を実施し、全国でも数例、九州では初めてというオオヤマネコの骨や、西北九州に広く分布する組合せ石銛が出土した。貝層は舌状台地北斜面に形成され、台地上には土坑や住居址と思われる遺構が検出された。平成6年3月16日に県指定文化財に指定された。

川上城跡

約700年前に、約350年間川上地方を治めていた河上氏の城で、非常時にたてこもる山城であった。城壁を思わせる石垣が山頂付近にあり、山頂は人工的に平坦にされた広場が3段に分かれている。

川上墓塔群

昭和53年川上中組堂坂周辺を調査し、道路わきや川沿いに散乱している石塔が見つかった。40基あまりの墓石が確認され、長年謎であった河上氏祖先の墓塔群ではないかとされている。

川野家武家門

川上中ノ平前、川野家の門である。昔各地の外城に分散して警備に当たった武士を郷士といい、川野家の祖先も川上に居住していた郷士で、往時の郷士宅をしのばせる瓦葺きの豪壮な造りである。

鍋ヶ城跡惟宗広言の墓

市来氏の創始者、大蔵政房が1200年前に市来郡司となり居城したといわれる。台地の中央の層塔は、島津家初代忠久の母の丹後の局と結婚し、市来院の地頭となった惟宗広言の墓だと伝えられている。

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お問い合わせ

いちき串木野市役所社会教育課文化振興係

〒899-2192 鹿児島県いちき串木野市湊町1丁目1番地

電話:0996-21-5113

ファクス:0996-36-5044

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