ホーム > 産業・企業誘致 > 観光 > お祭り・イベント・みどころ・散策 > みどころ・散策 > みどころ(霊峰冠岳)2ページ目
ここから本文です。
更新日:2021年11月30日
戻る2ページ中2ページ目
祭神は予母津事解男命で、本地薬師如来が安置してあり、中岳熊野権現社と呼ばれ、冠岳の三所権現として尊信を集めていました。近くには、高さ30余m、まわり約110mもある奇峯中宮岩があります。
仙人岩の西側の絶壁の中腹にあり、洞窟の奥には高さ1mあまりの青銅づくりの金仏、不動尊が安置され、霊験あらたかであるとして今も尊信を集めています。
自然の巨石が足場の悪い所に積み重なっているが、人力では不可能だというところから、天狗岩と名付けられ、「三国名勝図会」にも「天狗のすむ所」と書かれています。
三十一代用明天皇のころ、蘇我馬子が勅願所として建てた熊野三所権現のひとつで、祭神は櫛御気野命(素佐之男命)。4月と11月に例祭が行われます。
六世紀末、冠岳に紀州熊野より用明天皇の勅願にて勧請され、この地の鎮守として信仰されてきた阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を本地仏とする冠岳三山(東岳・中岳・西岳)を守る熊野権現を祀る御堂。
日本の南を守り、この冠岳より世界の息災と豊饒を祈る目的で神戸鏑射寺より勧請された総高八尺余、一木造りの黄不動明王を祀る。
まるで傘を閉じたような形をした岩で、上部が大きく、下部は小さいのに直立している盤石不動の姿をたたえて不動石とも呼ばれています。
中岳神社から西へ約300m引き返し、そこから北に30m入ったところに白山岩があり、この岩の中腹の小さなほこらが白山権現社で中岳神社の末社になっています。
平安時代の僧で、日本における真言宗の開祖であり、書道においても三筆の1人。
20歳で出家し、金剛峯寺の建設の他、土木工事にも尽くし、著作も多く残されています。
また、旅僧として諸国遍歴をしたといわれ、弘法伝説として各地に残る様々な伝説があります。
徐福の伝説が残され、古代山岳仏教の地である冠岳は、中国とゆかりの深い所であることから、中国とのより一層の友好関係を深めたいとの願いからつくられた中国庭園です。
冠岳展望公園にある日本一の徐福石像は高さ6m、台座2mで平成12年11月22日に設置されています。
この像は秦の始皇帝が徐福に命じて蓬莱の国にあるという不老不死の霊薬を求めて旅立たせ、帰りを待ち望んでいる像が中国の秦皇島市にあり、その像に対応するために作られたものです。
戻る2ページ中2ページ目
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
Copyright © Ichikikushikino City All Rights Reserved.