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更新日:2024年11月25日
麓武士の鉱山とのかかわり武士の世も終わり麓の武士たちも生活を営むため、様々な仕事に就きました。その中で一部の有力な武士たちの目に留まったのが、鉱山事業でした。明治の初めには薩摩藩が管理していた鉱山も、明治6年 (1873)9 月からは「日本坑法 」が施行され、鉱山は国有ではあるが税を治めれば誰でも稼業できるものになりました。こうしたことから五代友厚をはじめ、全国各地で一攫千金を目指し鉱山事業を行う者が現れました。串木野麓の武士たちがいつの頃から鉱山事業に関わるようになったのかは定かではありませんが、明治 44 年の福岡鑛山 監督署が出した『福岡鑛山監督署管内鑛区一覽』によれば、奥田栄之進 、入来定穀 、宮之原重 、長直史郎 、肝付篤志 など麓武士たちの名が記載されており、これより以前から鉱山事業に携わっていたことがうかがえます。上記史料からは串木野鉱山はもとより県内各地の様々な鉱山に手を広げ事業を展開していた者もいたようです
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