ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化 > 日本遺産 > 日本遺産「串木野麓」の構成文化財 > 地頭仮屋跡
ここから本文です。
更新日:2024年11月25日
この東西にわたる壁面は、串木野城跡外曲輪の一部と考えられています。現在の石垣は明治30年前後に築かれたもので、そこに建てられている住宅付近に地頭仮屋があったと思われます。広さは約3300平方メートル(三反三畝)、ここを中心として西之口・内村・麓・原郷の四つの郷があり、麓四郷と呼ばれていました。島津重豪の積極開化政策で、安永2年(1773)鹿児島城下に造士館と演武館が創設され、串木野郷でも間もなく当地頭仮屋に手習い学問所と剣術稽古所が創設されました。明治2年(1869)には、新時代の教育の基礎となる達徳館を設けました。これが鹿児島県第三十四郷校となり、串木野小学校へと発展しました。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
Copyright © Ichikikushikino City All Rights Reserved.