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更新日:2024年11月25日
串木野城に残る施設跡と発掘で出土した数々串木野城はシラス台地の丘を土木工事して築いたこの地域の拠点となった城です。城の中心には「城ノ元 」という地名が残っています。ここには深い空堀を隔てて6つの大きな曲輪 (平坦地)が築かれており、敵からの侵入を防いでいます。南方神社 (お諏訪さあ)も曲輪の一つで社殿の北側には土塁 (土の壁)をみることができます。曲輪の中心の入口(虎口)にはL 字状に曲がって直進できないような仕掛けもみられます。かつては五反田川 に沿って城の北西側を守る高さ 4m、長さ 60mあまりの壮大な土塁がありました。当時の城域は五反田川の内側の西ノ口 から樋之口 と北原・袴田 の南側台地縁辺までを含む広大な城域 だったようです。平成 9 年から 11 年に発掘調査が行われ、曲輪から、建物跡の柱の穴の跡がたくさん見つかっており、鉄くぎも出土しています。また戦国時代の 15 世紀~ 16 世紀代を中心とした青磁・白磁などの皿、陶器のツボ・カメ類、火鉢、茶の湯に使う天目碗などの様々な国内外産の陶磁器などもあり、城内で生活していたことや、戦いに備えて厳重な防備をしていたこともわかりました。令和 2 年(2020)に市が一部散策道 を整備し、土地所有者の協力のもと誰でも見学ができるようになっております
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