ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化 > 文化財資料 > いにしえの香り > 令和7年度いにしえの香り > いにしえの香り~わが町の文化財紹介 No.8(6月20号掲載)
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更新日:2025年8月20日
昭和20(1945)年、8月9日(木曜日)の午前11時2分、長崎市内にアメリカ軍が原子爆弾を投下しました。同じ日に、本市の特に沿岸沿いの本浦、浜町、本町、大原、野元、平江方面へ大規模な空襲があったことが記録されています。掲載した写真には原子爆弾のきのこ雲の奥に大きな煙が立ち上がっていますが、これは本市がこのとき受けた空襲で発生した火災の黒煙です。
このときの空襲の記録は『串木野駅史』に収録され、米軍の波状攻撃により駅舎や車両・油倉庫などが激しく燃えたことが記録されています。これらの空襲で串木野市街地の大半は焼け野原となりました。
市来方面には5月初旬の夜半から空襲が始まりました。この時の空襲で土橋町付近が攻撃され、現在、国登録有形文化財になっている「市来大迫家住宅」にも機銃が当たりました。その後、7月30日と8月12日の午前9時に本格的な空襲を受けています。この空襲で、市街地住宅をはじめ、市来農芸高等学校の校舎や市来郵便局、湊町公会堂など湊町周辺は大きな被害を受けました。
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