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更新日:2023年11月21日

地頭仮屋跡

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地頭假屋跡 說明

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地头假屋迹说明

한국어는 이쪽으로부터

지두가 집무를 보던 곳 설명

日本語 説明

地頭仮屋跡

この東西にわたる壁面は、串木野城跡外曲輪の一部と考えられています。現在の石垣は明治30年前後に築かれたもので、そこに建てられている住宅付近に地頭仮屋があったと思われます。広さは約3300平方メートル(三反三畝)、ここを中心として西之口・内村・麓・原郷の四つの郷があり、麓四郷と呼ばれていました。島津重豪の積極開化政策で、安永2年(1773)鹿児島城下に造士館と演武館が創設され、串木野郷でも間もなく当地頭仮屋に手習い学問所と剣術稽古所が創設されました。明治2年(1869)には、新時代の教育の基礎となる達徳館を設けました。これが鹿児島県第三十四郷校となり、串木野小学校へと発展しました。

お問い合わせ

いちき串木野市役所社会教育課文化振興係

〒899-2192 鹿児島県いちき串木野市湊町1丁目1番地

電話:0996-21-5113

ファクス:0996-36-5044

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