ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化 > 文化財資料 > いちき串木野市の民俗文化財
ここから本文です。
更新日:2024年11月25日
場所:野元
ガウンガウン祭は、春のお田植え祭りです。神事がすむとテチョ(父親)が現れ、大きな木の股で田を耕す所作をして、豊作を祈ります。
場所:羽島
太郎太郎祭りは県指定無形民族文化財で、羽島崎神社の氏子が主となって運営されています。祭りの中では、田打ちと船持ちの祝いの2つが行われます。舟持ちは、舟歌を歌う人々が神殿に祭られている模型のダンベ(団平)船・帆舟を出して上下に揺らしながら介添え人とともに境内を回ります。このとき船歌「よいこの節」が歌われます。この歌は旧正月3日から2月4日までの祭りの日は歌ってよいが、それ以外には歌ってはいけない決まりがあります。田打ちの祝いにはテチョと太郎とまず出てきて、脇に控えていた。蓑笠姿の5歳児を先導し、田おこしの様子を再現します。その後は牛が登場し、テチョと太郎と牛の掛け合いなどユーモラスな演技が見ものです。
場所:野元
この芸能は、近松門左衛門作浄瑠璃「国姓爺合戦」の二段目「千里が竹」の後半の一部です。国姓爺合戦は近松の老成後、時代物を総合芸術的な方向に実らせようとした史劇として、高く評価された作品と言われています。
場所:羽島
羽島南方神社に奉納する踊り。山田楽といって東郷の山田楽を取り入れたという伝承を持っています。太鼓16名、鉦4名の合計20名の中高生で踊られます。太鼓打ちの服装は、白の半天に黒の兵児帯を締め、白のパッチに黒脚半・地下足袋で、頭には円錐系の笠に色紙をつけ、竿旗にも色紙を長くつけます。鉦は女役なので、白地に黒襟、色袖で色帯を締め、パッチ・黒脚半・白足袋、頭には花笠をかぶり踊ります。
楽の種類は、20種類ありそのうち16種類が踊られます。「門かがり(キザウチ)」「コンキャン」「コゴラン」「カタセキ」「ヌケ」「タンキャン」などの名称がついています。50分ほど踊られます。
場所:川上
川上踊は今から400年くらい前、五穀豊穣と平和を祈念して創始されたものと伝えられている。毎年8月26日を踊りの日と定め、踊りつづけられてきたが、戦時中から中断していた。その後昭和39年から復活した。現在では8月末の日曜日に踊り、川上踊保存会によって毎年行われるようになった。鉦や太鼓を打ち鳴らし踊る様は、勇壮華麗である。
※8月26日に近い日曜日に奉納・披露
場所:大里
市来地域の水田「大里たんぼ」に「上ン実盛ドン」「下ン実盛ドン」と呼ばれる塚がある。この虫追踊は実盛ドン塚を主として踊られた。昔、源平時代、斎藤別当実盛が敵と戦っている時、馬が稲の切り株につまずいて倒れ、実盛は不覚にも討たれて死んだ。その怨霊が虫になって稲を害するという伝説がある。この伝説に基づいて日本の中部以西では「実盛送り」という行事を行っているところが多い。大里地区では、この虫追踊がいつから始まったかは明らかではない。
場所:港町
祇園祭の起源は文化9年(1812)に八坂神社が建てられた時に遡り、約200年前と考えられている。八坂神社が建立されたころは、湊町が商港、宿場町として栄えた頃で、囃子山は、若松宇吉が京都で習ってきたものだという。勇壮な神輿を先頭に活発な男山と、優雅な装いの女山の山車が街中を練り進む様は見ものです。
場所:鏑楠
1842(天保13)年に建立されたもので、女性は右手に錫を持った巫女で、祈りをしているようにも見えます。男性は、シキをかぶり、田の神舞の姿で、メシゲと飯碗を持っています。
場所:坂下
1747(延亭4)年に建立されたもので、瓔の長い冠をかぶり、両手で杓を持っている姿をしています。この神官立像の田の神像は串木野と市来を中心とした地域しかないと言われ、10体ほどが確認されています。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
Copyright © Ichikikushikino City All Rights Reserved.